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コサック (HMS Cossack, F03) は、イギリス海軍のトライバル級駆逐艦。1940年にノルウェー領海で行った、ドイツ補給船アルトマルクへの乗り込みによるイギリス捕虜救出作戦(アルトマルク号事件)で有名になった。 艦名は、コサックの名を取ったものである。 ==艦歴== コサックは1936年6月9日に、ニューカッスル・オン・タインにあるヴィッカース・アームストロング社のハイ・ウォーカー・ヤードで起工され、1937年6月8日、S・V・グッドール夫人によって進水した。就役は1938年6月7日、出動準備完了は1938年6月14日だった。 コサックの最初の戦闘は1940年2月16日、ノルウェーのイェッシングフィヨルド()でのいわゆる「アルトマルク号事件」であった。ドイツの補給船アルトマルクにはアドミラル・グラーフ・シュペーに拿捕された商船の乗組員が囚えられていたが、コサックの乗員がこれに乗り込み、アルトマルク乗組員7名を殺害することによって救出した。コサックは解放した捕虜299人を乗せて2月17日にスコットランドのレイス()に到着した〔「タイムズ(ロンドン)」1940年2月19日(月)、p.10〕。アルトマルクへの実力行使に対するドイツ政府の抗議を受けて、ノルウェー政府はコサックのノルウェーの中立の侵犯に抗議し、捕虜の返還を要求した。〔「タイムズ(ロンドン)」1940年2月19日(月)、p.8〕 その後まもない1940年4月、コサックは第2次ナルヴィク海戦に参加した。1940年後半には、北大西洋に進入すると報じられたドイツの水上部隊を捜索する部隊の一員となった。部隊は巡洋戦艦フッド、軽巡洋艦エディンバラと駆逐艦エレクトラ、エコー、エスカペイドおよびコサックで構成されていた。その通報は間違っていたことが判明し、部隊はクリスマスを含む1週間を海上で過ごした後に、大晦日に港に戻った。 1941年5月、コサックはビスマルク追撃戦に参加した。コサックと他の4隻の駆逐艦は中東向けのWS-8B船団を護衛していたが、5月26日にそこから分かれ、ビスマルクの存在が報じられた海域に向かった。彼らはその夕方ビスマルクを見つけ、夜から翌朝にかけて数度の魚雷攻撃を敢行した。命中弾はなかったが、ビスマルクの砲手が睡眠を取れないようにすることによって翌朝の戦艦部隊によるビスマルク攻撃を容易にした。 1941年10月23日、ジブラルタルからイギリスへ向かうHG75船団護衛中にドイツ潜水艦U-563の攻撃を受けて魚雷1本が命中した〔''Destroyer Down'', p.74〕。10月25日にジブラルタルから曳船テムズ (Thames) が到着しコサックの曳航を開始したが、10月27日にコサックは沈没した〔''Destroyer Down'', p.75〕。乗組員159人が犠牲となった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「コサック (駆逐艦)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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